礼・義・智・信で育った日本人は、不正義を憎み卑怯を嫌う「武士道」を教育された!
昭和16年12月8日、日本は西太平洋に浮かぶハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を地上攻撃、米英を相手とした大東亜戦争を起こしたこの開戦の意義を、「智恵子抄」で知られる詩人・高村光太郎は一遍の詩に書きつづっている。
黒船以来の総決算の時がきた 民族の育ちがそれを可能にした。長い間、小突き回されながら、なめられながら、しぼられながら。
仮装舞踏会まで敢えてしながら、彼らに学び得る限りを学び、彼らの力を隅から隅まで測量し、彼らのえげつなさを満喫したのだ。
今こそ古に帰り源にさかのぼり、一瀉千里の本流と成り得る日が来た。
大東亜戦争は黒船来航以来、長い間欧米列強に小突き回されてきた日本人の白人社会の強圧に対する総決算であることを詩に託している。
明治開国以来、欧米列強の植民地化を避けるために、必死に刻苦努力してきた。小突き回されても、じっと我慢を重ねてきた。
日本人は多くの天災に襲われ、幾度とない危機に見舞われたが、全て耐え抜いてきた。だが、日本民族の息の根を止めようとするアメリカの要求にだけは耐えることが出来ない。
戦争をしない道は残されていた、全ての権益を放棄して、赦しを請う道はあった。しかし、それは戦争をしなくても戦争に負けたと同様の悲惨な末路を意味していた。国民にはそれが出来なかった、武器を取ることを選択したのです。
軍令部総長永野修身は、
戦うも亡国かも知れぬ、だが戦わずしての亡国は、魂までも喪失する、永久の亡国である。たとえ一旦の亡国となるとも、最後の一兵まで戦い抜けば、我らの子孫は、この精神を受け継いで、再起三起するであろう、
と語った。
大東亜戦争は、逃げも隠れもしない日本が戦争を決意した、一億の日本人が武器を取り、決意した戦争です。
恥じることも、たじろぐこともない。凛として日本人は、襲い来る外敵をはね除けるために
日本の生存をかけて戦った自存自衛の戦いです。 それが極東の国、日本の揺るがすことの出来ない、ただ一点の戦争理由です。
ピューリツア賞を受けたアメリカの従軍記者ジョン・トーランドはその著書の中で、
アメリカのように天然資源と広い国土に恵まれ 外国に攻撃される恐れもない国が、どうして日本のように小さく、ほとんど資源もなく、常にソ連のような仮借ない隣国の脅威にさらされている島国の置かれた立場を理解することができるだろうか?
アメリカが口にする正義は、結局は自己の目標を貫かんがためであり、唱える道義は、その奥底において自らの利益のためであった。
と自らの国家に疑問を投げかけている。
子供を愛し妻を愛し兄弟をうつくしみ両親を尊敬する多くの先人、誰一人、日本が侵略戦争をしたとは思っていません。外国の土地を強奪した事実もありません。
貴方がもし日本人ならば そして正義を愛するならば、かっての日本人も同じ日本人です。貴方方が誇れる先人の方々です。
貴方が自分を信じるならば、日本を護った先人を信じて下さい。英霊を、先人の愛を見つめて下さい。
2、466、364柱の英霊が、靖国の宮に祀られる。平成13年10月現在。
日本よ、陽はまた昇る!
祖国、日本を防衛するために、陸海空に散華された方々に、私たちは誇りと叡知を此の胸に抱き、凛として愛を捧げる。それがあって初めて、日本の新しい時代が始まる。
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