2011年2月6日

日本とポーランド

シベリアのポーランド人孤児達を日本赤十字と大日本帝国が救い出だした感動のフラッシュ。マスコミではほとんど報道されていないのが残念である。

1920年(大正9年)7月にポーランド救済委員会の要請を受けてシベリアに取り残されたポーランド人孤児を日本軍が救出している。それ以前、ポーランドはロシアの占領を受けており、シベリアは流刑地でした。ロシア革命に乗じてポーランドは独立したが、混乱の中、単独でシベリアのポーランド人を救出するのは困難で、各国に支援を要請したが、応じたのは日本だけだった。1922年にも第二次救出が行われて800人の孤児を救出している。

このときの日本の対応はすばやく、ポーランド救済委員会のアンナ・ビエルキエビッチ会長が1920年6月に来日してから17日後に外務省は救済を決定し赤十字に依頼している。7月下旬には第一陣の孤児たちがウラジオストックから敦賀に到着しています。手間も暇もお金もかかる事業であり、シベリアに出兵していた諸外国は拒否したほどですから驚くべき話だ。

この話には続きがあり、この孤児たちはポーランドに帰国後、「極東青年会」を結成した。ドイツのポーランド進攻が始まるとこの青年団はイエジキ部隊として多くの同胞が集まりレジスタンス活動を行う。彼らは孤児院を隠れ家としていたが、ナチスドイツの強制捜査の手が入る。

しかし、日本大使館から書記官が駆けつけ「ここは日本帝国大使館が保護している孤児院である。同盟国のドイツ軍といえども「勝手な操作は認められない」として突っぱね、孤児院の皆に「君が代」「愛国行進曲」を合唱させ、ドイツ兵を追い払った。

まったく奇跡のような歴史のつながりだ。それとポーランドと日本は国交がなかったし、独立以前にも何のつながりもない。利害も全くない。なぜ日本は動いたのか。それは、「八紘一宇」ポーランドの人も同胞だったということではないか。そこに美しい日本人の心があったのだ。

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